2021/01/05 22:38

少雪かと思われた今冬も、12月に入ってから積雪量が増え、美深はすっかり真っ白になっています。
雪かきは毎日ですし、車でも歩いても滑るからほんとに厄介な季節なのです。
でも。いいんですよね、この真っ白が。
ただぼーっと外を見ているだけで癒やされるのです、昔から。なんででしょうか。


最近、「人新世(アントロポセン)」という言葉を良く見かけます。

この言葉、『人新世の「資本論」』(齋藤幸平著:集英社新書)では、次のように説明されています。
〜人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新世」と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である〜

アスファルトも、トタン屋根も、畑も覆い尽くす真っ白な雪景色には、一時的にせよ、自然に一歩譲るような穏やかさがあるのでしょうか。

本のタイトルはちょっと難しそうではありますが、とっても読みやすい本ですので、おすすめです。ぜひ。


さて、この「アントロポセン」という言葉。
新海誠監督のアニメーション映画「天気の子」でも使われています。最後の方に、ほんの1秒くらい、出てきます。

この映画、先日のTV放送で見たのですが、見終わってから、どう考えていいのか悩んでしまいました。
異常気象、環境破壊へのメッセージなのか。だとしたら、登場人物たちの行動とどう結びつければよいのか。
考えること数日、劇中登場する「アントロポセン」という言葉と『人新世の「資本論」』の内容がリンクして、次のような結論を得ました。

観てない方には申し訳ないのですが、ストーリーはざっくりこうです。

〜家出した高校生の帆高は、長く雨の降り続く東京で、親をなくした陽菜と出会います。
陽菜には晴れ間を一時作り出す特殊能力があり、帆高と陽菜は「晴れ間」を作るビジネスを始めます。
「晴れ間」ビジネスは評判を呼び依頼が殺到するが、能力を発揮する度に、陽菜の体は透明になっていきます。
異常気象の東京では、とうとう真夏の雪に。陽菜は自分が犠牲になれば異常気象は解決すると葛藤し、その夜、ついに陽菜の体は消えてしまいます。
そして翌朝、東京の空は晴れ渡ります。
帆高は消えてしまった陽菜を探し、警察の執拗な追っ手を振り払い、ついに、雲の上で陽菜を見つけて地上に連れて帰ります。
逮捕された帆高は陽菜と離れ離れに。そして、その日から再び東京に雨が降り続き、数年後には東京の一部が水没することになります。
人々は水没した東京で暮らし、そして、帆高と陽菜は再会し、そこで映画が終わります。〜


『人新世の「資本論」』では、「グローバル・サウス」という言葉がでてきます。これは「南北問題」に近い言葉です。
先進国の豊かな生活がグローバル・サウスからの収奪に基づいていること、要するに、先進国がグローバル・サウスを犠牲に豊かさを享受しているということです。
また、こういった現実は日常生活では感じにくく、それを「外部化社会」という言葉で表現しています。そして今、外部化できる外部が消尽した、と指摘しています。

ここで、東京を先進国、雨を不自由さを象徴すると見ると、弱者である陽菜は消尽するグローバル・サウスの象徴と言えるのではないでしょうか。
晴れ渡る東京、すなわち豊かな先進国を謳歌するためには、陽菜という犠牲が必要、ということです。
晴れ間ビジネスは、帆高も気が付いていない、外部化社会といえます。
陽菜が実は中学生だったことと、グローバル・サウスでの児童労働の問題とを関連付けるのは、考えすぎでしょうか。
帆高は陽菜を救い出すことで、こういった世の中と向き合う覚悟をしたのでしょう。世の中はいささか不自由になりましたけど。
老朽化したビルの外部階段を通って陽菜を救い出すのも象徴的かなと。

ちらりと出てくる「アントロポセン」という言葉から、こんなことを考えてみました。
いかがでしょうか、新海監督!

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