2022/04/10 10:33
本を読む順番がたまたま、養老先生の「ヒトの壁」→金原ひとみさんの「ミーツ・ザ・ワールド」になりました。これが良かったのです。
なんだかんだ、養老先生の新刊は出るたびに読んでいます。平易な文体と言葉が、難しいこともわかりやすく読ませてくれるんですよね。これってちょっと村上春樹みたい。
新刊の「ヒトの壁」で印象に残ったのは「理解と解釈」のお話です。
自己を内、外界を外と考えた場合、
・「理解」とは、ああそうだったのかと外からやってくるもの、自己への入力方向、感覚
・「解釈」とはこちらが勝手に様々な対象を表現としようとするもの、自己からの出力方向、運動
本当はもっと色々と書いてあるのですが。これに関する当方の「解釈」としては、人間は外界の状況を理解して、自分なりに解釈して行動する。でもね、解釈っていうのは相手の意図と同じではないし、行動はどうしたって周囲につまびらかになるし、周囲は相手の行動の意図を探って評価もする。となると自分100%の解釈のアウトプットは出しづらくなりますね。なにかしら抑制がかかる。
例えばアキラさんという人がいたとして、100%のアウトプットをするときもあるかもしれないけど、パンツもズボンも履いて事務所で旅費の精算なんかするときは30%くらいのアウトプットかもしれません。今この世の中、内的自己にはパンツくらいは履かせて外的自己になってもらわなければ歩くこともままなりませんよねぇ。皆さんも周囲と折り合いをつけていませんか?
だから世の中は保たれている。でも内的自己と外的自己の乖離は、時に人に苦しい思いをさせるのでしょう。結果として乱れてはいないけど生きにくい世の中ができあがっているのかと。
「ミーツ・ザ・ワールド」の主人公はまさにそのような生きにくさを抱えた女性。世の中の一般的価値感にフィットしない自分を卑下することで、内的自己と外的自己の折り合いを付けている。内側にパンツもタイツもズボンも履いている。
そこに現れる歌舞伎町の住人たちは、比較的薄着で、主人公の生き方に「はぁ?ダサ」とでも言ってくれるような人たち。その人達もその人達の生きづらさを抱えているわけでもありますが、そんな姿を見ながら、主人公に北風と太陽的変化が生まれて…ってストーリー。
まぁこういうことで、「ミーツ…」も「ヒトの…」もおんなじことを書いていたわけです。理解と解釈、感情と運動、内部と外部。どちらも素材を同じくする文学だったのでした。
ちなみに「蛇にピアス」芥川賞受賞当時のベストセラーは「バカの壁」だったそうです。