2023/02/10 21:22
図書館でなんの気なしに借りた本。
「おらおらでひとりいぐも」と「老人と海」。
偶然ながら、どちらも孤独な高齢者(桃子さんとサンティアゴ)が、(ほぼ)一人で過すという物語です。いつかは老後を迎える身、老後の勉強にと読み始めると、なんだか不安が想起されます…
「ところが、いけない。飼いならし自在に操れるはずの孤独が暴れる」(おらおらで)
「魚入りのサフランライスなどなかったし、若者はそのことも知っていた」(老人と)
孤独でお金もない…という感じですから。
ところがですね、読みすすめると、そういった不安を上回るように物語の面白さが増幅。どちらも最後まで一気に読んでしまいました。読後感も、爽快です。
なぜかと考えると、桃子さんもサンティアゴも「孤独」ではあるけど「孤立」はしていないんです。
「おらおらで」ってほとんど「 」(カギカッコ=会話)がない小説なんですが、最後は「 」ばかりの暖かな結末となっています。
サンティアゴは年をとっても生業を継続できる肉体と精神を持ち、地域のコミュニティからも(それなりに)見守られている。なにせ、物語の初めから終わりまで一銭も使っていません。そういう世界があってそこで生きている。現代日本においてはもはや羨ましいレベルかもしれませんね、年寄りじゃなくても孤立してしまう世の中では。
そういえば、今の朝ドラ「舞い上がれ」もコミュニティをテーマにしているような気がします。
東大阪という地縁の強そうな地域での、家族、友人、職場、地域での繋がりを描いています。そういった地縁を嫌う若者も居て当然で、主人公の兄(お兄ちゃん)は故郷を捨てて「ファンドマネージャー」として成功します。
ファンドマネージャー!とは随分思い切った設定だなぁと思ったのですが、これってコミュニティの対局としての敢えての?設定なのですよね、たぶん。自己責任の象徴。お兄ちゃんは度々登場しますが、事あるごとに札束を抜き出して金でケリをつけようとします。
でもね、お兄ちゃんもついには失敗しちゃって、東大阪の実家で思い出のカレーを食べて泣いて、そしてお礼に札束ではなくお好み焼きを渡すようになるんです。
現実はどちらかというと、ファンドのお兄ちゃんより、地域のコミュニティが衰退していく時代でしょう。だからこそ、脚本家は今のうちに、そのコミュニティをこうして記録しておきたかったのかもと思ってみたり。
まぁ要は、我が家は朝ドラにハマっている、ということです。