2024/04/07 09:31

「オッペンハイマー」を観てきました。



3時間に及ぶ大作になっているのは、オッペンハイマーが原爆を作り出す物語のみならず、戦後のオッペンハイマーや、戦後に政治的にオッペンハイマーと対立したストロースの3つの物語を同時並行で描いたから。むしろ、戦中の話を急ぎ足にしてまでも戦後の話にボリュームを割いた映画の構造に、クリストファー・ノーラン監督のメッセージを感じました。

また、量子力学、核分裂連鎖反応、無限大に発散する指数関数など、この映画に欠かせないテクニカルな要素がメタファーとして多用されており、その意味するところにも監督の意図を感じます。



ちょうど映画を観る数日前から読み始めた本に、面白い図がありました。


数学から物理へ、物理から工学へ、そして工学から実社会へ。テクノロジーが現実化される段階と、それぞれの段階間で乗り越えなければならない「溝」を示しています。

この本においては「溝」は主に技術的な課題を意味していると思われますが、特に実社会にリリースするにあたっては「倫理的」な問題も存在していることは、AIや生命工学を思い出すまでもなく明らかだと思います。

理論物理学者であったオッペンハイマーは、幾多の溝を越え、原爆を現実に作り出しました。
1940年代前半という「時代」が、溝を越え倫理を超える力を与えた。オッペンハイマー自身もその時代を背景に、溝を越える意思、いや意欲をもったのでしょう。
そして時代に突き動かされ溝を越えてしまった彼は、この構図が容易に繰り返され得るものであることを悟ったのです。



このオッペンハイマーの跳躍を今、描く必要がある。ということなのでしょう。

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